私は26歳の時、大阪の百貨店でエレベーターガールとして働いていました。

しかし、激務が続く中でも休みが取れず、風邪気味なのを放置したまま働き続け、ある日倒れてしまいました。

気付くと病院のベッドの上で、人工呼吸器をつけていました。

酷い肺炎になっており、三ヶ月の入院を余儀なくされたため、大好きだった百貨店の仕事を辞めることとなってしまいました。

退院した後の私は、仕事と自信を失って抜け殻でした。体は元気でも心は灰色のまま、何をするでもなく地域の図書館に通うようになりました。

目的は、活字で頭をいっぱいにして、情けない自分から逃げる為です。

毎日、朝から晩まで貪るように書物を読む生活が続き、図書館に通い始めて二ヶ月ほど経った頃、平日の夜20時頃に毎日同じ席で調べ物をするスーツの男性と挨拶をかわすようになりました。

彼は外資系の企業に勤める営業マンで、10歳年上の36歳独身。仕事に使う専門的な英語の勉強を目的に、図書館に通っているとのことでした。

次第に図書館内の廊下などで会話をするようになって、彼の事をより深く知るようになります。

彼の生い立ちは決して平坦な道ものではありませんでした。物心つく前に、実の母親は病気で他界してしまい、そこから彼の父親は再婚などをすることなく働き詰めの生活を送り彼と彼の妹、弟の3人を立派に育て上げたと聞きました。

彼は下の妹と弟のために、必死の努力で学費の安い国立大へ進学し、就職。

36歳の今も奨学金を返しながら、実家へ仕送りしつつ働いていると。

私は、彼と出会って、彼の生き方に触れ、自分自身を恥じました。両親ともに健在で、大学も私立へ通わせてもらい、健康な体があるのに無職だと。

それでも彼は私を責めませんでした。平日は毎晩話すようになり、その時間が朝から楽しみでたまりませんでした。気付けば、活字を追って現実から逃げることもなくなりました。

そして、彼と毎晩話すようになって半年後、彼から2つの告白を受けました。

1つは、彼の母親の死因が私の入院した理由と同じ「肺炎」であったということ。

もう1つが、こんな情けない私を守りたい、ということでした。

私の答えはもちろん側にいたい、と即答です。

こうして私と彼はお付き合いをするようになりました。

結局、お付き合いを始めて1年程度で彼は仕事で台湾へ、私は新たな仕事で地元へと別れてしまい、恋人関係も解消することになってしまいました。

しかし、今考えても彼に出会わなければ、私の心は病んだままだったと思います。感謝してもしきれません。

私は今、紆余曲折を経て親の決めた人と結婚をしています。現代には珍しく、結婚相手は親が決める家系なのです。

そして、私が今悩むのは、もしもこの先彼と再会することがあったら、、、私は今の生活を捨ててしまいそうなのです。

彼との再会を願ったり、少し怖くなったり。そんなフワフワしている今日この頃です。